2022年9月20日、日テレ番組『仰天ニュース』で日航機ハイジャック事件が取り上げられました。
当時、世間を騒然とさせたニュースですが、犯人の女性リーダーは一体誰だったのでしょうか?
そこで今回は、ダッカ日航機ハイジャック事件の内容と女性リーダーが誰なのかについてまとめてみました。
ダッカ日航機ハイジャック事件とは?
2022年9月20日に『仰天ニュース』でダッカ日航機ハイジャック事件が取り上げられます。
当時、世間を震撼させ波乱の渦に巻き込んだ事件ですが、どのような事件内容だったのか簡単にまとめてみました。
- 1977年にバングラデシュのダッカで起きた日航機ハイジャック事件(通称:ダッカ事件)
- 1977年9月28日、武装したテロリスト(日本赤軍)の5人の男により、パリ発東京行きの日本航空472便が中継地のインド・ボンベイを離陸後にハイジャックされる
- バングラデシュのダッカ空港に着陸を強行
- そして、犯人は乗客・乗員151人の人質と引き換えに日本政府に同胞の9人の釈放と出国、巨額の身代金を要求
- 事件発生の翌日、日本政府は収監中のテロリストたちの釈放と16億円の身代金を受け入れる
- 事件発生から4日目の10月1日、9人の受刑者が釈放されうち6人が出国
- この頃には機内は猛暑で衛生状態の悪化が進み極度の緊張で体調を崩す人質も続出
- 犯人側の引き渡し交渉がかなり慎重なものであったため交渉は難航
- 現地ではハイジャックに乗じたクーデターが起き、バングラデシュ政府が日航機に強制離陸の命令をする
- 乗務員と残された人質を乗せた日航機はアルジェリアに向かうことに
- 経由地で数十名の人質を解放しアルジェリア空港に着陸
- 着陸先でハイジャック犯と釈放犯は同国当局に投降し、人質の全員が解放された(事件発生から7日目)
事件が起きた当時の首相である福田赳夫総理が、
「人の命は地球よりも重い」
という発言をし、「超法規的措置」として犯人の要求を飲む決断を下したことは今でも語り継がれています。

このようにバングラデシュやアルジェリアなど、複数の国を巻き込む国際的な犯罪事件に、日本だけでなく世界的にも注目され影響を及ぼしたテロ事件だったようですね。
ちなみに、ダッカ事件の5人の犯人メンバーはこちら。
- 丸岡修:1987年11月に東京で逮捕。2000年3月に無期懲役が確定し2011年に死去
- 和光晴生:1997年2月にレバノンで逮捕、服役後の2000年3月に日本へ移送。ハーグ事件とクアラルンプール事件について逮捕・起訴されたが、本件については立件されなかった。
- 佐々木規夫:国際手配中
- 坂東國男:国際手配中
- 西川純:1997年11月にボリビアで逮捕。2011年9月に無期懲役が確定。
佐々木規夫氏と坂東國男氏はまだ逮捕されておらず、国際手配中だそうです。
【特定】ダッカ日航機ハイジャック事件の女性リーダーは誰で顔画像は?

ダッカ日航機ハイジャック事件を起こした国際テロ組織・日本赤軍ですが、このグループのリーダーは女性だったといわれています。
この女性リーダーは一体誰だったのでしょうか?
リサーチしてみたところ、この日本赤軍の女性リーダーの名前は、『重信房子』という人物だったことが分かりました。

- 名前:重信房子(しげのぶ・ふさこ)
- 生年月日:1945年9月28日
- 年齢:78歳(2023年10月時点)
- 出身地:東京都世田谷区
- 思想:マルクス主義
- 活動:ハーグ事件ほか
重信房子氏は、テロリスト、新左翼活動家で革命家、元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部という数々の肩書きがあります。
1974年9月に起きたハーグ事件への関与で国際手配と受け逃亡を続けていましたが、2000年に逮捕されています。
2001年には獄中から、事実上崩壊していた日本赤軍の解放を発表。
そして、懲役20年の刑期を終え2022年5月28日に出所されています。
すでに出所されている重信房子氏ですが、今後の人生をどのように歩まれるのか注目が集まりますね。
まとめ
今回は、【特定】ダッカ日航機ハイジャック事件の女性リーダーは誰?顔画像あり!というテーマでご紹介していきました!
ハイジャック事件の女性リーダーは日本赤軍の重信房子氏ということがわかりました。
すでに出所されている重信房子氏の今後の動向にも注目ですね。