お笑いタレントの劇団ひとりさん。
映画「浅草キッド」など、近年では映画監督してもマルチに活動されていますよね!
そんな劇団ひとりさんは、アメリカ育ちの帰国子女だと噂されています。
そこで今回は、
- 劇団ひとりさんは子供の頃にアメリカで育っていた!
- 英語はペラペラで堪能?
というテーマでご紹介していきます。
劇団ひとりの子供時代はアメリカ育ち!
2023年にgooランキングが『実は帰国子女と知って驚く男性有名人』をリサーチしたところ、劇団ひとりさんが第2位にランクインしました。
実際にアメリカのアラスカ州に住んでいた時期があったのだとか!
お笑い・映画監督とマルチな才能を発揮する劇団ひとりさんですが、帰国子女のイメージがないので驚きですよね。
しかし、テレビ番組「午前0時の森」に出演した際には、元フィギュアスケート選手の村主章枝さんと、アラスカ州に住んでいた頃の幼馴染だと打ち明けていました。
では、帰国子女と噂される劇団ひとりさんは、一体どんな生い立ちなのでしょうか?
劇団ひとりさんの生い立ちは?
千葉県出身の劇団ひとりさんは、小学2年生から5年生までアメリカ・アラスカ州のアンカレッジに住んでいました。
父親がJALの国際線のパイロットで、その仕事の都合で移住したようです。
ちなみに、母親は国際線のキャビンアテンダント(CA)なんだとか。
パイロットの平均年収は1200万円、CAの平均年収は500万円なので、劇団ひとりさんの家庭はかなり裕福ですね!
父親の後輩パイロットで、元フィギュアスケート選手・村主章枝さんの父親も、同時期に転勤したため、アラスカでは家族ぐるみの付き合いがあったと、劇団ひとりさんは語っています。
アンカレッジでは現地の小学校に在籍し、週に1度日本語学校に通っていました。
日本人というだけで揶揄われることが多く、劇団ひとりさんは負けじといつも殴り合いのケンカをしていたそうです。
そんな劇団ひとりさんはアラスカに住んでいる期間に、ビートたけしさんの番組「オレたちひょうきん族」の録画ビデオを友達に送ってもらうのが楽しみだったそうです。
映画「浅草キッド」の監督を務めた際に、雑誌「VOGUE」のインタビューで、
日本のテレビ番組に触れられるのがその録画ビデオだけだったから、それこそテープが擦り切れるほど観ていた。そこでたけしさんのお笑いが刷り込まれてしまったんでしょうね。
引用:https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/my-obsession-gekidanhitori
と少年時代にビートたけしさんから受けた影響を語っていました。
その後、日本に帰国した劇団ひとりさんは、千葉県で偏差値2位の名門私立・市川中学校の受験に失敗し、公立の幕張本郷中学校に進学しました。
中学から高校にかけてはツッパリに憧れて、リーゼントにしていたのだとか!
しかし、中学時代はバスケットボール部のキャプテンを務めていたようなので、ファッションだけで本当の不良ではなかったのかもしれません。
その後、高校生1年生の頃に、憧れのビートたけしさんの番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演し、太田プロからデビューが決まりました。
他のお笑い芸人とは異なる経歴を持つからこそ、特異な存在として芸能界で活躍し続けているのかもしれませんね!
劇団ひとりは英語がペラペラで堪能?
劇団ひとりさんは、帰国子女ということで英語力が期待できますが、実際はどうなのでしょうか?
小学5年生の頃以来、英語圏から離れている劇団ひとりさんは、現在は英語をほとんど喋れないと打ち明けています。
2005年にNHK番組「英語でしゃべらナイト」に出演した際に、米国の俳優ケビン・クラインさんにインタビューする企画がありました。
しかし、当時28歳の劇団ひとりさんは、まともに英語でインタビューができなかったみたいです。
言語取得能力の限界年齢は、一般的に10歳から12歳までと言われています。
その時期にアラスカで生活していた劇団ひとりさんは、一時的にはバイリンガルだったと考えられます。
実際にラジオ番組「英語のアルク」に出演した際には、アラスカに移住して半年くらいで現地の友人と普通に喋れるようになったと話していました。
しかし、幼少期の語学取得は、文法構造ではなく習慣で身につけるため、長期的に英語から離れると喋れなくなると言われています。
劇団ひとりさんは、日本に帰国してからしばらくは英語がペラペラで、勉強せずに英検3級をパスし、試験官よりも英語が流暢だったそうです。
母親からは英語を忘れないよう英会話教室を勧められていたようですが、当時の劇団ひとりさんにとっては、「英語を忘れる」という感覚が理解できず、通わなかったみたいです。
すると中学3年生のある日、外国人に道を尋ねられると喋れなくなっていることに気づいたそうです。
劇団ひとりさんのように帰国子女でも、英語を使う機会が一切ないと、時と共に喋れなくなるみたいですね。
まとめ
今回は、劇団ひとりは子供の頃にアメリカで育っていた!英語はペラペラで堪能?というテーマでご紹介していきました。
劇団ひとりさんは小学2年生から5年生までの3年間、アメリカのアラスカに住んでいたことがわかりました。
帰国後しばらくは英語がペラペラでしたが、現在はほとんど喋れないみたいです。
本人は特に英語を必要としていないようなので、今後も日本語でお笑い・映画を盛り上げていってほしいですね!