笠置シヅ子の生い立ちまとめ!養子になった本当の理由は?

笠置シヅ子の生い立ちまとめ!養子になった本当の理由は?

ヒット曲「東京ブギウギ」で知られる戦後の国民的歌姫・笠置シヅ子さん。

彼女を題材にしたNHKの朝ドラ『ブギウギ』が2023年後期から放送され話題ですよね!

そんな笠置シヅ子さんは、ドラマでも描かれたように、養子として育てられた複雑な生い立ちを持っています。

そこで今回は、笠置シヅ子さんの生い立ちと、養子になった本当の理由をご紹介していきます!

目次

笠置シヅ子のプロフィール

笠置シヅ子のプロフィール
引用:https://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/lineup/prg_109/

まずは、笠置シヅ子さんのプロフィールはこちら。

芸名:笠置シヅ子(かさぎ・しずこ)

本名:亀井静子(かめい・しずこ)

生年月日:1914年8月25日

死没:1985年3月30日(70歳没)

出身地:香川県大川郡(現・東かがわ市)

職業:歌手・女優

代表曲:東京ブギウギ、買物ブギ、など

大正時代の1914年8月25日に香川県で生まれた笠置シヅ子さん。

幼い頃から歌と踊りを好み、13歳で大阪を拠点とする「松竹楽劇部」に入団しました。

そこで5年間の下働きを経て、徐々に頭角を表し、1935年にレコードデビューを果たします。

当初はジャズ風の楽曲を歌っていたため、太平洋戦争が始まると「敵性音楽」として国家に取り締られ、自由に音楽活動ができなくなります。

また、私生活で結婚の話も持ち上がり、一時は引退を考えていたみたいですが、戦後に「東京ブギウギ」が大ヒットしたことで、国民的歌姫の座へと返り咲きました。

笠置シヅ子さんの躍動感のあるパフォーマンスと、ブギの明るいリズムは、敗戦後の暗く沈んだ日本人に元気を与えたと言われています。

「東京ブギウギ」は、今もなお福山雅治さんや氷川きよしさんなど、著名なアーティストがカバーしているので、誰しもが一度は耳にしたことがあるのではないしょうか!

日本のポップソングに最も影響を与えた楽曲と言われています。

そんな笠置シヅ子さんは、活気ある大阪弁が特徴で、世の中を明るく照らす太陽のようなイメージがありますが、実は養子という複雑な生い立ちを持っています。

そこで、笠置シヅ子さんの出生についてご紹介していきます。

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笠置シヅ子の生い立ちは?

笠置シヅ子の生い立ちは?
引用:https://twitter.com/shawnpams/status/1733048329817452723

「ブギの女王」として戦後に名を馳せた笠置シヅ子さんですが、私生活では肉親の愛に恵まれなかった暗い過去を持っています。

17歳の頃に自分が養子である事実が発覚し、あまりのショックに正気を失い、入水自殺を起こしかけました。

なぜ笠置シヅ子さんは養子になり、17歳になるまでその事実を知らされなかったのでしょうか?

養子になった理由は?

笠置シヅ子さんは、郵便局員の三谷陣平さんと、三谷家の女中・谷口鳴尾さんとの間に生まれました。

ところが、地主の名家である三谷家は、身分の違いから2人の結婚を認めず、シヅ子さんは私生児になってしまいます。

間も無くして父・陣平さんが病死すると、母・鳴尾さんはシヅ子さんを連れて実家に帰ることになりました。

当時は私生児に対する差別が強く、また母・鳴尾さんは母乳が出ない不幸に見舞われます。

そこで、代わりの乳母として大阪で小売業を営む亀井夫妻にシヅ子さんを預けることになりました。

シヅ子さんはまだ生後半年ですから、離れて暮らす実母より亀井夫婦に懐くのは仕方ないですよね。

その結果、養子の話が持ち上がり、実母・鳴尾さんは生活が苦しかったため承諾せざるをえませんでした。

こうして私生児だったシヅ子さんは、「亀井シヅ子」という出生名を授かることになったのです。

肉親の姓を与えられず、養子先の亀井家が出生名になった時点で、かなり複雑な生い立ちですよね。

そのため、養父母の亀井夫妻は、シヅ子さんに出生の秘密を隠すために細心の注意を払っていたようです。

では、なぜシヅ子さんは自分が養子である事実を知ることになったのでしょうか?

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笠置シヅ子が養子の事実を知った原因は?

物心がつく前に養子になったシヅ子さんは、長らく亀井夫妻が肉親だと思っていました。

ところが、17歳になったシヅ子さんは、実父の三谷家の法事に招かれた際に、養子である事実を知らされます

かつて身分の違いから結婚を認めなかった三谷家の人間は、当初シヅ子さんの存在を無視していましたが、歌手として有名になったことで、三谷家は面目上、彼女を法事に呼びつけたという説もあります。

ともあれ、養子の事実を知ったシヅ子さんは、その夜は一睡も出来ず、明け方に朦朧とした意識で川に入水し、そのまま土手を走り回っていたようです。

その後、シヅ子さんは実母・鳴尾さんが健在だと知り会いにいきますが、鳴尾さんは決して自分が実母である事実を認めませんでした。

この一連の出来事で、シヅ子さんが味わった悲しみは計り知れませんが、切替の早いサバサバした性格の彼女は、亀井夫妻が肉親ではないと知っても愛情は揺らがなかったようです。

とわいえ、シヅ子さんには子どもを見るだけで急に涙を流す一面もあり、内心では克服できない悲しみを抱えていたように思われます。

肉親と似た運命を辿る笠置シヅ子

笠置シヅ子さんは33歳の頃に、吉本興業の御曹司・吉本穎右(よしもと・えいすけ)さんとの間に、娘エイ子さんを授かりました。

ところが、吉本穎右さんの母・吉本せいさんが結婚に反対したため、なかなか籍を入れることが叶いませんでした。

そして間も無く、吉本穎右さんは持病の結核が悪化し、愛娘の姿を見ることなく、この世を去りました。

親の結婚反対、そして父親の早死、これは笠置シヅ子さんの肉親とあまりに境遇が似ており、不吉な運命に思えてなりません。

笠置シヅ子さんは、入籍前に夫を失ったことで、妊娠中にもかかわらず睡眠薬を摂取する危険な精神状態に陥ったと言われています。

しかし、周囲の助力を借りて笠置シヅ子さんは、歌手としても母親としても立ち直り、シングルマザーとして娘に愛の限りを尽くしました。

また、2023年もエイ子さんはご健在のようです。

エイ子さんは一般人のため、メディアに出演することはほとんどありませんが、朝ドラ『ブギウギ』の人気を受けて、今後目にする機会があるかもしれませんね!

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まとめ

今回は、笠置シヅ子の生い立ちまとめ!養子になった本当の理由は?というテーマでご紹介していきました。

戦後の国民的歌姫・笠置シヅ子さんには、知られざる生い立ちがあることがわかりました。

今後、NHKの朝ドラ『ブギウギ』で、どのように描かれるのか楽しみですね!

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