1985年8月12日に起きた『日本航空123便墜落事故』。
生存者はわずか4名で、520名が亡くなる”国内航空機史上最悪の墜落事故”と言われることでも有名ですね。
この墜落事故には、なんと明石家さんまさんも搭乗予定だったのだとか!
一体、明石家さんまさんが搭乗を止めた理由は何だったのでしょうか?
そこで今回は、日本航空123便に明石家さんまが乗らなかった理由と他の搭乗予定の有名人についてまとめてみました。
日本航空墜落事故に明石家さんまが免れた理由

1985年8月12日に起きた520名の死者を出した『日本航空123便墜落事故』。
この事故には、実は当時29歳だった明石家さんまさんも搭乗予定でした。
当時、明石家さんまさんはラジオ番組『MBSヤングタウン』に出演するために日本航空123便に乗る予定でした。
しかし、レギュラー出演していた『オレたちひょうきん族』の番組収録が早めに終わったことで、一つ早い全日空便に乗ることになったそう。

奇跡的に日本航空123便に乗らなかった明石家さんまさんですが、当日のMBSヤングタウンでは言葉を失うほどのショックを受けていたようです。
何か状況が少しでも異なれば、事故に巻き込まれていたとするとゾッとしますよね…。
この事故をきっかけに明石家さんまさんは、東京・大阪間の移動は新幹線を利用するようになりました。
他の移動もなるべく飛行機を使わないようにしているそうです。
また人生観にも大きく影響を与え、座右の銘『生きてるだけで丸儲け』の由来はこの経験を元に生まれたと言われています。
さらにこの経験は、娘のイマルさんの名前の由来にもなっています。

明石家さんまさんは『生きてるだけで丸儲け』から、
元妻の大竹しのぶさんは、『今を生きる』という意味を込めて、『今生』と書き『いまる』と名付けたそうです。
日本航空墜落事故で搭乗予定だった有名人は?

日本航空123便墜落事故には、明石家さんまさんの他にも搭乗予定で奇跡的にも被害を免れた有名人がいます。
一体、どんな人物がいたのか見ていきましょう。
ジャニー喜多川
実は、故・ジャニー喜多川さんも日本航空123便に搭乗予定でした。

大阪の新歌舞伎座で開かれた舞台『森の石松』へ、主演の近藤真彦さんを応援するために乗る予定だったそうです。
しかし、近藤真彦さんが舞台初日に開く記者会見に来てほしいとジャニー喜多川さんに言ったため、別の航空機にのり前倒しで大阪入りしました。
少年隊(錦織一清、植草克秀、東山紀之)
ジャニー喜多川さんと同じく、少年隊(錦織一清、植草克秀、東山紀之)も一緒に搭乗予定でした。

しかしジャニー喜多川さんが前倒しで大阪入りした一方で、少年隊は予定をキャンセルして東京に残ることになりました。
そのため、飛行機に搭乗することはありませんでした。
浅野ゆう子
女優の浅野ゆう子さんは帰郷のため搭乗予定でした。

しかし、空港へ到着するのが遅れたため飛行機に乗り遅れたそうです。
稲川淳二
タレントの稲川淳二さんも、テレビ番組『稲川淳二のためになる話』の収録を終えた後に、大阪入りするために搭乗予定でした。

しかし、体調不良のために念のため翌朝の新幹線での移動に変更したそう。
ただ友人でスタッフの和田浩太朗さんは、日本航空123便に搭乗して犠牲になってしまったそうです。
テレビ番組『稲川淳二のためになる話』の収録を手伝った後、私用で大阪に向かっている最中のことでした。
稲川淳二さんはこの出来事を、『生涯忘れられない運命の分かれ道』と語っています。
笑点大喜利メンバー
笑点大喜利メンバー(五代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家木久扇、林家こん平、三遊亭小遊三、六代目三遊亭円楽、桂才賀、山田隆夫)も日本航空123便に搭乗予定でした。

事故の翌日である13日に徳島での阿波おどりに参加する予定があったという笑点メンバー。
しかし、予約していた徳島便の遅延や徳島空港の悪天候により、予約便が条件付き運行に変更。
そこで日本航空123便に乗って神戸港から船で徳島入りする案が出ていたようですが、
林家こん平さんの「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ。きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案したことで、予定通りの徳島便に搭乗したそうです。
こん平さんの一言がなかったら、もしかしたら乗っていた可能性もあったようですね。
笑点メンバーは徳島へ到着した後に、空港から宿泊先のホテルへ移動中のタクシーで事故が起きたことを知ったようです。
また、同行する予定だった広告代理店の関係者数名は日本航空123便に乗って犠牲になってしまったとのこと。
深田恭子
深田恭子さんは当時2歳でしたが、家族に連れられて日本航空123便の乗る予定でした。

しかし、モノレールの遅延により飛行機に乗るのが間に合わず、命拾いしたそうです。
この他にも、
西川のりおさん
麻実れいさん
いしだあゆみさん
逸見政孝さん
などの多くの有名人が日本航空123便に搭乗する予定で、幸いにも搭乗しなかったと言われています。
一方でこの事故では、国民的歌手の坂本九さんや元宝塚歌劇団雪組の娘役だった北原遥子さんなどが犠牲となり、亡くなりました。

何かしらの偶然が重なって事故を回避した人も多かったようですが、改めてとても衝撃的な事故でしたね…。
まとめ
今回は、日本航空墜落事故に明石家さんまが免れた理由!他にも有名人はいた!というテーマでご紹介していきました。
明石家さんまさんは、『オレたちひょうきん族』の収録が早く終わったことで、1つ前の便の飛行機に搭乗し事故を免れました。
この事故をきっかけになるべく飛行機は使わずに新幹線で移動しているそう。
また命についても考えることが多くなり、『生きてるだけで丸儲け』を座右の銘として、娘も座右の銘にちなんで『イマル』と名付けたそうです。
この事故により、明石家さんまさんだけではなく多くの方の心に影響を与えたことは間違いないでしょうね。
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