1985年8月12日に起きた『日本航空123便墜落事故』。
生存者はたった4名で520名の犠牲を出した”国内史上最悪の航空事故”として知られています。
2023年現在、事故の生存者4名はどのように暮らしているのでしょうか?
そこで今回は、日本航空墜落事故の生存者4名の現在と生還理由についてまとめてみました。
日本航空123便墜落事故とは?
『日本航空123便墜落事故』とは、1985年8月12日に起きた国内史上最悪の航空事故です。
乗客乗員524人のうち520名が亡くなり、生存者はわずか4人というあまりに悲惨な事故だったことが知られています。
事故が起きたのは、羽田空港から大阪・伊丹空港行きの日本航空123便でした。
この日本航空123便は、飛行中に機体の尾翼が爆発して操縦不能となり、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落。
事故の原因は、事前の整備不良によるもので尾翼の圧力隔壁の修理不足により、飛行中に尾翼部分が空中分解を起こしてしまったそうです。
現場はとても悲惨なもので、足の踏み場がない状態でした。
どうしても残骸の上から遺体を踏んでしまうような状態で、現場周辺には損傷した遺体があちこちにぶらさがっているような地獄絵図だったといいます。
とても恐ろしい凄惨な航空事故でしたが、奇跡的に生還した生存者4名は現在どうしているのでしょうか?
生存者4人は2023現在どうしてる?
日本航空123便墜落事故での生存者は、
川上慶子さん(当時12歳)
落合由美さん(当時26歳)
吉崎博子さん(当時34歳)
吉崎美紀子さん(当時8歳)
の4人でした。
生存者4名は悲惨な現場で、一晩発見されず助け出されたときにはかなり衰弱していました。
また報道陣側の苛烈な取材や報道により、救出された後も
- 事故後、撮影のために毛布を剥ぎ取られる
- 家族関係者へ執拗な取材が行われる
などの酷い仕打ちを受けたといいます。
壮絶な事故を経験した生存者4名の現在の様子について、解説していきます。
川上慶子さんの現在
事故当時、12歳だった川上慶子さんは2023年で50歳くらいになります。
事故で家族を失った川上慶子さんは、保健師の母親の意志を継ぐことを決め、看護師になり兵庫県の病院で勤務されていました。
その後は、アメリカに訪れた際に知り合ったアメリカ人男性と2002年に結婚。
現在は、看護師を退職して子供を出産し、息子2人と娘の育児をするお母さんになったようです。
しかし、事故のトラウマは大きいようで兄の千春さんいわく、御巣鷹の尾根へ山登りに誘った際には「気分が悪くなるから」と断られたそう。
何年経っても心の傷は癒えないままのようですね…。
落合由美さんの現在
落合由美さんは、当時日航の客室乗務員として勤務していました。
日本航空のアシスタントパーサーの勤務が終わり、大阪の自宅に帰るために日本航空123便に乗客として搭乗し、事故に巻き込まれました。
事故当時は26歳でしたが、2023年で64歳くらいになりますね。
ニュースの報道によると、2012年頃に落合さんは日航社員が対象の安全教育セミナーで近況を語っていたようです。
関係者によると、3年前に落合さんは日航社員らが対象の安全教育セミナーで講演し、事故前後の状況や自身の近況などを語った。何年にもわたる日航側の講演要請に対し、「社員も安全意識を持ってほしい」と初めて応じたという。
引用:https://www.sankei.com/article/20150809-XEYLTT3OO5JH7E6P6UTWKPVIGU/3/
そして、2015年の報道では大阪府内で暮らしていると報じられていました。
吉崎博子さんと娘・美紀子さんの現在
吉崎博子さんと美紀子さんは、母娘で奇跡的に生還しました。
しかし、一緒に乗っていた夫と子供2人が犠牲になってしまっています。
吉崎さん親子は事故の悲しみを乗り越え、東京都内の実家で一緒に暮らしていると言われていました。(※2015年時点)
母娘で助かった吉崎博子さん(64)と美紀子さん(38)は、今も東京都内の母方の実家で一緒に暮らしている。インターホン越しの取材に、博子さんは事故について語らなかったが、「2人とも元気ですよ」と答えた。
https://www.sankei.com/article/20150809-XEYLTT3OO5JH7E6P6UTWKPVIGU/3/
【生還理由】生存者4人はなぜ助かった?
生存者4人はなぜ助かったのか、見ていきましょう。
座席が関係していた
日本航空123便の生存者4名が生還した理由には、座席が関係していました。
生還者たちは全員、飛行機の後方座席に座っていたといいます。
墜落した飛行機は、最初に後方部分が山にぶつかり、前方部分と別れて切り離されました。
前方部分は、高速度のまま御巣鷹の尾根に落ちて墜落。
一方で後方部分は山から滑り落ちる形で落ち、樹木がクッションの役割を果たして墜落の衝撃が吸収されたそう。
結果的に、飛行機の一番後ろの座席が最も衝撃が少なかったことになります。
また、幸いにもエンジン部分も離れていたため火災に巻き込まれることもなかったようです。
しかし、後方部分の座席でも4人以外の乗客は亡くなっていますので、助かったのは奇跡的としか言えない状態でした。
まとめ
今回は、日本航空墜落事故の生存者4人は2023現在どうしてる?生還理由は座席が関係していた?というテーマでご紹介していきました。
生存者4名が生還した理由には、一番後ろの座席に座っていたことが関係していました。
辛い事故を乗り越えて現在はご自身の人生を歩まれている生存者たちですが、今後の人生が素敵なものであることを願いたいですね。
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