2007年から2013年にかけておきた「関西青酸連続死事件」の犯人・筧千佐子。
裕福で孤独な男性に近づき、遺産目当てに3人の男性を青酸カリで殺害したという衝撃的な事件を起こしたことで知られています。
かつて世間を震撼させた筧千佐子ですが、一体どのような生い立ちだったのでしょうか?
そこで今回は、
- 筧ちさ子の生い立ちとは?
- 凶悪事件を起こした毒婦になったのはなぜ?
というテーマでご紹介していきます。
それでは、早速本題に入りましょう!
筧千佐子の生い立ちまとめ
2007年から2013年にかけて夫や交際相手の男性4人に、青酸カリを飲ませてうち3人を殺害した筧千佐子。
- 名前:筧千佐子(元は山下姓)
- 生年月日:1946年11月28日
- 出生地:長崎県長崎市
- 出身地:福岡県八幡市
当時、世間でも大きく取り上げられ話題となり、時間が経った今でも再現ドラマなどで事件が取り上げられています。
被害者男性の遺産を奪い、世間に「後妻業」という言葉を広く広めたことでも有名ですね。
後妻業(ごさいぎょう)とは
財産目当てで高齢男性を狙い、入籍などで内縁関係になったあとに遺産を根こそぎ奪う手口のことを指します。
筧千佐子とは、一体どのような人生を送っていたのでしょうか?
一部では”サイコパス”とも評される筧千佐子の生い立ちについて見ていきましょう。
両親と血の繋がりがなかった
筧千佐子は1946年11月に長崎県長崎市に未婚の母の元で生まれました。
生まれてすぐに養子に出され、福岡県八幡市で山下家の元で長女として育てられます。
筧千佐子は、育ての両親を尊敬していると語っており、育った環境は愛情あふれるものだった可能性があります。
ただし、養女だとは知らず成人後に生みの親の存在を知ることになります。
後述しますが、自身の出生を知ったことが性格を歪める原因になったのでは?という推測の声もあるようでした。
学生時代は高学歴のエリートだった
筧千佐子は幼少期から頭が良いと評判で、高学歴のエリートでした!
筧千佐子の学歴はこちら。
- 公立小・中学校
- 東筑高校(偏差値:70)
小中学校は地元の学校に通い、同級生からは「とにかく頭がいい」「気が強くてリーダータイプ」と評されていました。
一方で運動は苦手だったようですが、「頑張りを評価してください」と先生に直訴したこともあったようです。
それであるとき彼女が先生に『私は運動はできないけど、とにかくできないなりに頑張った。だから体育の点を上げてください』って直訴(じきそ)したんです。
それを聞いて、山下さんらしいなって思いました。昔から気が強いし、言うべきことは言うというタイプだったんです
引用:文春オンライン
成績優秀でありながら、唯一の苦手教科も妥協しないのはすごいですよね。
そして中学時代は学年でも上位の成績だったこともあり、高校は福岡でも有名な名門公立高校「東筑高校(偏差値:70)」に進学。
高校時代はあまり目立った生徒ではなかったものの、どちらかというと穏やかなタイプだったそうです。
夢を諦め大手都市銀行に就職
教師になる夢を持ち、大学進学を希望していたという筧千佐子。
しかし、家族の反対があり仕方なく就職を選びます。
そして「住友銀行(現在の三井住友銀行)」に就職。
大学進学を辞めたものの、エリート銀行員として順調な道を歩まれていたようです。
この銀行の職場で最初の夫で、当時運送業をしていた矢野正一さんと交際。
両家の家族から反対されたものの、押し切って結婚したようです。
2人の間に子供が生まれたものの、夫とは病死で死別。
なんとか子供を大学まで通わせ独り立ちさせた後に、お金目的で高齢男性を狙うようになりました。
筧千佐子が毒婦になったのはなぜ?
元々は、秀才で大手銀行にも就職するエリートだった筧千佐子。
筧千佐子の若い頃の詳細はこちら↓
死刑執行の詳細はこちら↓
後妻業を繰り返すきっかけとは何だったのでしょうか?
今回は、筧千佐子がなぜ毒婦になったのかについて解説していきます。
膨大な借金を重ねた
筧千佐子は最初の結婚で銀行を辞め、夫・矢野正一さんの実家でみかん農業を手伝うようになりました。
2人の子供も生まれ順風満帆かと思いきや、夫が病死。
さらに、
- 筧千佐子の金遣いの荒さ
- 旦那が残したプリント工場の運営資金
- 子供の私立大学の学費
で次々に借金を親族に重ねることになります。
夫の死亡保険で入った約2000万円を返済にあて、のちにプリント工場を廃業。
その後、元夫の実家から姿を消したと言います。
事件を捜査した大阪府警担当者いわく、この一連のできごとが事件を起こすきっかけだったのではないかと推測されていました。
捜査員は千佐子が最初の結婚をしていた時期の経験が、その後の犯行動機になったのではないかと見ています。
実際、当該の時期について彼女は『とにかくカネには苦労した』と口にしており、『大金を稼いで見返したかった』とも供述しています。
引用:文春オンライン
借金でお金に苦労していたときに、夫の死亡保険金が手に入ったことで人生が好転した筧千佐子。
おそらくこの時のできごとで味をしめ、事件を引き起こすようになったのかもしれませんね。
プライドが高かった
筧千佐子の犯行のきっかけに、プライドの高さもあげられていました。
元々、エリート銀行員として働いていた筧千佐子。
しかし農家に嫁いでからは、九州の田舎から出てきた分家の嫁として扱われ虐げられていたといいます。
気の強い性格で秀才だった筧千佐子は、虐げられるのは人生初めてだったのではないでしょうか?
そのため、反逆精神で性格が歪んでしまったとも推測されていました。
自分の出生を知ったこと
記者の取材で、筧千佐子は面会中に「自身の生い立ち」の話になったときに感情が高ぶったことが判明しています。
筧千佐子が両親と血の繋がりがないことを知ったのは、成人後のことでした。
「生みの親」と名乗る女性から手紙が届き、知ったのだそうです。
彼女はその時のことを振り返りながら、ポロポロと涙をこぼした。
「お母さんは子宮の病気をして子供が産めないんで、私をもらい子したみたい。育ての親は模範にしたい、いい両親でした。私はこんな罪を犯しましたが、あの両親のことは今も尊敬しています」
引用:日刊ゲンダイ
筧千佐子いわく、
- 育ての親は子宮の病気で子供を産めないため養子をもらった
- 育ての両親は尊敬している
とのこと。
実の両親に対して思いは語っていませんが、尊敬してる育ての親と実際に血の繋がりがなかったというのはかなりショックだったのではないでしょうか?
週刊誌の記事では、自分の出自を知ったショックで人格が変わった可能性もあると推測されていました。
実際に性格に影響したのかは分かりませんが、筧千佐子にとって生い立ちは涙ながらに語るほど辛いものがあったようです。
まとめ
今回は、筧千佐子の生い立ちまとめ!高学歴のエリートが毒婦になったのはなぜ?というテーマでご紹介していきました!
筧千佐子のルーツを見てみると、生みの親が養子に出し血の繋がらない両親の元で育てられたことが分かりました。
幼少期から学生時代も優秀で、高校は県内で有名な進学校「東筑高校(偏差値:70)」の進学。
両親の反対で大学進学は諦めますが、大手都市銀行に就職するというエリート人生を歩まれます。
それにも関わらず毒婦になった理由には、
- 最初の結婚生活で膨大な借金を重ねてた
- エリート銀行員のプライドの高さ
- 自身の出生を知ったこと
が関係していると思われます。
借金で苦労し、後妻業を繰り返すようになった筧千佐子。
お金目的で男性3人の人生を奪ったことは残念でなりませんね。