三淵嘉子の夫2人の詳細まとめ!再婚相手との悲しい共通点とは?

三淵嘉子の夫2人の詳細まとめ!

日本初の女性法律家の一生涯を描いた、朝の連続テレビ小説『虎に翼』がネット上でもとっても話題になっていますよね。

日本初の女性弁護士の一人で日本初の女性判事というだけでも波乱万丈な人生が想像できます。

しかしそれだけではなく、三淵嘉子さんは生涯で2度の結婚生活を送っています。

今回の記事では三淵嘉子さんの夫2人にフォーカスを当ててまとめています。

目次

三淵嘉子の夫2人はどんな人?

https://twitter.com/8431Yukio/status/1779070691507425327

三淵嘉子さんは1941年(昭和16年)11月5日に和田芳夫さんと最初の結婚をしています。

2度目の結婚は1956年(昭和31年)三淵乾太郎さんとの結婚でした。

三淵嘉子さんの2人の夫について深掘りします。

1度目の結婚は死別により幕を閉じる

三淵嘉子の夫2人はどんな人?

1人目の夫である和田芳夫さんは、三淵嘉子さん宅に書生として出入りしていた学生です。

明治大学を卒業しており、三淵嘉子さん同様とても優秀な学生だったようです。

書生という言葉は聞きなれない方も多いのではないでしょうか?

簡単ではありますが書生がどのような役割の人を指していたのかまとめてみました。

  • 地方出身者が勉学のために上京した際に住み込む制度
  • 少額の家賃と雑用で居候をさせてもらう
  • 家賃の支払いが厳しい学生には篤志家が家の雑用などをさせ、勉学に励んでもらう

三淵嘉子さんのお父様・武藤貞雄さんは女性も男性と同じように政治や法律について勉学を深めるべきだという思想を持っていました。

そのため、想像ではありますが簡単なお手伝いと引き換えに和田芳夫さんを住まわせていたのかもしれないですね。

そして武藤家に書生として住み込んでいた和田芳夫さんと三淵嘉子さんはそのまま結婚をし、その2年後、2人の間には第一子である芳武が産まれます。

絵に描いたような幸せな結婚生活のように見えますが、時は第二次世界大戦真っ最中です。

三淵嘉子さんの夫である和田芳夫さんは、1944年(昭和19年)戦争に召集され、その2年後、戦争からの引き上げ後に病死してしまいます。

芳夫は1年半後の1944(昭和19)年6月に召集されてしまい、嘉子は、幼い息子を抱えながら、空襲で家を焼かれて逃げ惑い、さらに福島へ疎開するなど、苦しい生活を強いられた。
終戦後、1946(昭和21)年5月23日、芳夫が上海から引揚途中に長崎で病死

引用:https://www.meiji.ac.jp/history/meidai_sanmyaku/thema/article/mkmht0000002myit.html

芳夫と嘉子が同居した期間はわずか3年間。

三淵嘉子さんは戦争中の疎開で大変なご苦労をされていたようです。

戦争が引き裂いた、あまりにも悲しい別れでした。

再婚同士で2度目の結婚生活

1956年(昭和31年)、嘉子は三淵乾太郎さんと再婚します。

三淵乾太郎さんは嘉子さんと再婚当時、最高裁調査官に着任していました。

そんな三淵乾太郎さんの簡単なプロフィールがこちら。

  • 生年/没年:(1906年~1985年)
  • 最終学歴:東大法科卒
  • 経歴:甲府地方裁判所所長、浦和地方裁判所所長などを務める
  • 父親:三淵忠彦(日本の初代最高裁判所長官)

乾太郎さんは嘉子さんと同じく、法曹界に一生をささげた人物でした。

父親は初代最高裁判所長官なので、大きな影響を与えられたのでしょうね。

ちなみに、嘉子は1947(昭和22)年3月裁判官採用願を司法省に提出し、裁判官には採用されなかったものの、司法省民事部に入省し、裁判官になるための経験を積むことになります。

想像ではありますが、仕事関係で接する機会が多くなったことと、当時は恋愛結婚よりも紹介での結婚が多かったことから共通の知人などから紹介されたのが馴れ初めかもしれないですね。

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三淵嘉子と再婚相手の悲しい共通点とは?

三淵嘉子と再婚相手の悲しい共通点とは?

三淵嘉子さんと再婚相手・三淵乾太郎さんには、実はある共通点がありました。

というのも、三淵乾太郎は前妻を病気で亡くし、嘉子も前夫を病で亡くしているという悲しいものでした。

さらには、夫・三淵乾太郎には1男3女の連れ子がおり、嘉子さんには芳武がいるので子持ちの再婚夫婦となります。

  • お互いに配偶者と死別
  • 法曹界に一生をささげたも同士
  • 子連れの再婚夫婦

といういくつもの共通点があったのも、良き理解者であったのでしょうね。

三淵嘉子さんの子供たちの詳細はこちら↓

三淵嘉子さんの学歴についての詳細はこちら↓

ちなみに、学歴やお父様の経歴を見るとかなり厳格な雰囲気をイメージしますが、嘉子の実子である芳武によると、乾太郎は嘉子にベタ惚れだったようですね!

芳武によると、乾太郎が嘉子にべったりで、長女はそれに反発していたようだ。

あるとき、嘉子が長女と電話で言い争いをし、嘉子は興奮して筋の通らないことを言い始めたので、芳武が怒ってやめさせたという。家庭では意外と独りよがりな面を見せていたようだ。

引用:https://www.jprime.jp/articles/-/31247?page=2

連れ子がいる同士の再婚ということで家族関係はうまくいくことばかりではなかったようですが、ともあれ似たような環境にあり、愛情深い三淵乾太郎という男性と出会えたことにどこか運命的なものを感じますよね。

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まとめ

今回の記事では三淵嘉子の夫2人の詳細まとめ!再婚相手との悲しい共通点とは?というテーマでまとめてみました。

  • 三淵嘉子は夫を病気で亡くして女手一つで息子を育てていた
  • 三淵乾太郎も妻に病気で先立たれ、1男4女を守る立場だった
  • 法曹界に一生を捧げた

お2人には様々な共通点があり、戦後の法曹界の大変な時期を力を合わせて乗り切っていたのでしょうね。

今後の『虎に翼』の展開にも注目していきたいですね!

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